2010年9月12日日曜日

大人の絵のワークショップ(1)

「自信を全くなくしてしまった人たちと向き合うということはどんなことなんだろう?」
 ここのところそんな言葉が心の隅に座っている。

「ものづくりを通してこんな人もいるのかと思ってもらえればいいんです」
 アナーキーママのたけちゃんが就労支援のNPOで、ものづくりの時間をはじめたと
聞いたのが今回のワークショップを始めるきっかけになる。
 たけちゃんは和裁師で、普段注文を受けた着物を縫い、アーティスト達の舞台衣装を縫い、カフェ「アナーキーママ」のママをこなし、なにより楽しそうに生きている女性だ。
 人一倍忙しいたけちゃんが自分の手先の指を、足りないなら増やしてしまえとばかりに始めた新しい動きに、あたしはかるく横っ面をひっぱたかれた気がした。最近充実しているとはいえ自分の仕事ばかりだったな、忙しいなら忙しいなりに、もう一方で自分の生き方を極めなきゃと思ったのだった。硬いといわれようが真面目といわれようが、「生き方」を意識してしまう。学校にも会社にも行けなくなり、外にすら出れなくなって自信がなくなった人たちが、やっと一歩を踏み出せた場所。その中のたった一部の時間。あたし自身こうして「自分として生きている」と思えるようになるまで、天に祈ったり、泣きながら絡むほど髪をくしゃくしゃにした時間があったのだ。自分に影響を与えてくれたのはいつも「先を歩いている人たち」と「こどもたち」だったのを思い出さずにはいられなかった。
 
 最初の日は何がしたいだろう。そんなことを考えて数日を過ごした。
 「今度のワークショップは大人の人たちでしょ?一番最初の日は何がしたいと思う?」
 うちで食事をしている時そんな話を真ちゃんにした。
 「やっぱり絵の具やろ」
 真ちゃん(つれあいです)はあたしが子どものワークショップをやる時、仕事と重ならなければパートナーとしてやってくれている。こどもたちやあたしと同じように空間の空気を吸い込んだり吐き出している。
 ワークショップの時、子どもたちがまるでとりつかれたように絵の具で絵を描いているで、真ちゃんは絵の具には魔法のような力があると思っているようだ。

 すぐにワークショップの日がやってきて、普段使っているはさみと、色紙、リキテックス(アクリル絵の具、)筆、パレット用の紙皿をトートバッグに詰めこんで、緊張している心に追いつかれないように小走りでワークショップを行う部屋に向かった。
時間より30分前。すでに机に向かって座っている20人の参加者の顔には表情がないように見える。自分自身、子どもや障ガイ者の人たちと絵を描く時間を過ごしてきたが、若い子といっても大人は始めて。
 身体は緊張感でこわばり、普段感じないような感覚を味わった。机を動かすのも、絵を描く用意をするのもスタッフの人。スタッフを目で追うわけでもなく彼らは座っている。本当に絵を描くのだろうか?なんて心をよぎるほど。こんな時あたしはすぐ泣きそうになってしまう。
 使うか使わないかわからないはさみをひとりひとりに手渡しして歩いた。目を合わす。「こんにちは、このはさみね、良く切れるの」何でも良かった。ひとりひとりと接したい。不思議なものだ。彼らは「ひとり」になると、笑ったり、身体をちじめたり、表情をあらわす。「ありがとうございます」「よろしくお願いします」という声を聞いて、あたしは励まされたような気までしてくる。
あいさつをしてから話をはじめた。
「人というのは表現して生きていく生き物なのだと思います。絵でもいい、音楽でもいい、計算することでも、走るのでもなんでもいいと思います。この講座の時間は、そんな自分を表現するということのきっかけになる時間にしましょう、絵にうまいも下手もありません。もし、今日絵を描くことまで心が行き着かなければ絵を描かなくてもいいです。ここに来たことがあたしにとってもみんなにとってもひとつの可能性なのです」

 おおぶりに手を動かしながら話したかもしれない。緊張感は言葉と一緒に吐き出され、同時に心の中に自分がやりはじめたいことを確信できるような強い気持ちが宿った。

 あたしは、はじめての大人のワークショップをはじめた。

 次回につづきます。